加世田市小松原のボサどん(媽祖神像)

 媽祖信仰は中国福建省に由来する航海安全の信仰。鹿児島県内には南さつま地域の笠沙町、坊津町、加世田市をはじめ、鹿児島市、頴娃町、さらに大隅半島の高山町で媽祖神像が確認されている。

加世田小松原媽祖神像写真

 加世田市には益山校区山村集落と、万世校区小松原集落の二か所に媽祖像が伝えれている。小松原の中村家の像は、木像で、高さは31センチメートル。両側に千里眼と順風耳を従え、屋敷の神棚で大切に祭られている。表面の漆箔は剥げてきているものの、金箔も大部分に残り、保存状態はよく、現在も毎年12月24日に神祭りを行う。

 中村家は近世海運業を営んでいたという。現在の祭主によれば、「昔、夫婦がやってきてこのボサどんを安置してから海運業が繁盛するようになったと聞いている」という。その夫婦の墓は、屋敷と同じ小松原集落の旧松林庵墓地にあり、中村家が代々祭ってきた。墓は板状五輪塔の凝灰岩で作られた墓石で、二基ともに梵字が刻まれている。また、一方の墓石には正保3年(1646)の銘がある。

 墓石のある旧松林庵は、加世田武田の日新寺(現在竹田神社)の末寺で、明治に廃寺となった。墓地には加世田地域の海運業の草分けといわれる鮫島宗政・宗行兄弟の墓や、僧侶墓、庚申塔など、貴重な墓石・石塔が多く残されている。旧松林庵墓地は、墓石の納骨堂化が早い鹿児島県内において、貴重な墓地の一つではなかろうか。

 媽祖神像の呼名は、加世田市山村の例と、この小松原では、ボサどん(菩薩殿)と呼んでいる。一方、笠沙町林家では、大きな媽祖像をロバさんと言い、小さな像をボサさんと呼んでいる。そして、ロバは姥媽、ボサは菩薩の意味とされている。しかし、大きな媽祖像の脚底には、寛政七年の銘として、「菩薩」と墨書されている。加世田にあった愛染院の住持照山による銘。したがって、祖像は大小にかかわりなく、中国風にいえばロバ(姥媽・姥媽祖)さん、日本風にいえばボサ(菩薩)さんということになる。

(2005.3.15記 / 『鹿児島民具』17号 表紙解説)
※加世田市・笠沙町・大浦町・坊津町・金峰町は2005.11.7に合併し、南さつま市となっている。


笠沙町片浦の媽祖神像