上野原縄文の森のあと、隼人塚に行ってみました。ヤマトに滅ぼされた隼人族を供養するため、平安時代に建てられた供養塔と四天王像です(古墳ではありません)。
上が2011年現在の写真、下は1991年に撮影した隼人塚です。1994年からの発掘調査を受け、隼人塚は1998・1999年に「復元」されたそうです。 下の写真を見慣れていたので、石塔やら四天王石像が立派になっていたのにびっくりしました。付近は宅地化が進み、背景も違います。
いずれも夕方の撮影で、東向きの四天王像は逆光になりました。そのとき、シュルエットの石像を後ろから見てふと思いました。
タノカンサア(田の神さあ)の後ろ姿とそっくり。田の神石像は、もしかしたら、隼人塚の四天王像をヒントに作られたのでは…。田の神の笠(シキ)は、隼人塚の石像の兜と似ています。
いわゆる陽形のイチモツです。隼人族の供養と、豊穣のシンボルは、すぐには結び付きませんが、おいおい考えていきたいと思いました。土の中に埋もれていた石像が4体とも復元されたからこそ気付いた点です。発掘調査に感謝。
隼人塚のそばには、隼人塚史跡館があります、館の先生に丁寧に解説していただき、写真撮影の許可もいただきました。夕暮れ時、子供たちは元気に古代史跡の前を家路につきます。歴史に毎日触れながら育つ。いい風景だなあと思いました。
●調査地:鹿児島県霧島市隼人町内山田 JR隼人駅そば
→Webアルバム「隼人塚」(1991年の写真も)
→YouTube「隼人塚」
いずれも夕方の撮影で、東向きの四天王像は逆光になりました。そのとき、シュルエットの石像を後ろから見てふと思いました。
タノカンサア(田の神さあ)の後ろ姿とそっくり。田の神石像は、もしかしたら、隼人塚の四天王像をヒントに作られたのでは…。田の神の笠(シキ)は、隼人塚の石像の兜と似ています。
いわゆる陽形のイチモツです。隼人族の供養と、豊穣のシンボルは、すぐには結び付きませんが、おいおい考えていきたいと思いました。土の中に埋もれていた石像が4体とも復元されたからこそ気付いた点です。発掘調査に感謝。
隼人塚のそばには、隼人塚史跡館があります、館の先生に丁寧に解説していただき、写真撮影の許可もいただきました。夕暮れ時、子供たちは元気に古代史跡の前を家路につきます。歴史に毎日触れながら育つ。いい風景だなあと思いました。
●調査地:鹿児島県霧島市隼人町内山田 JR隼人駅そば
→Webアルバム「隼人塚」(1991年の写真も)
→YouTube「隼人塚」