大木場やまんかん(山の神祭り)

南さつま市大浦町の大草履を運ぶ祭り。境界に掲げ「大男」の住むムラを示したという。

祭りの性格は、ウッガン祭り(内神祭り)が発展したものといえる。大木場方限には大木場門・大木場名子・東門・東名子・村・上畠・前園屋敷という7つの社会組織「門(かど)」があった。その名頭(オンナドン=乙名殿)が金子家。
大草履の由来については、平家落人伝説にちなむものがある。集落の方によると話は次のとおり。
「大木場の人々の先祖は平家の落人だと聞いています。昔、枕崎のほうから大木場峠(南さつま市上津貫と大木場を結ぶ峠)を越えて、この土地にたどり着きました。そして、大きな草履(ぞうり)をこの大木場峠に掲げました。追っ手の源氏は「大木場には大男の住んでいる」と思いこみ、峠から先には入って来ませんでした。また、源氏が来た時、猿がたくさん現れて防いでくれたともいわれ、山の神(大山祇神社)を祭るようになったと聞いています。」

●写真帖:南さつま市大浦町大木場の「山ん神祭り」



●山ん神ドキュメント
午後2時半に到着したときには、すでに神社での準備が始まっている。神殿を開き、赤飯・シトギ・塩・魚のお供えを供える。大木場では神職は呼ばず、大草履が到着した後、集落民が自ら祭典を執り行う。大山祇神社に参拝した後、御神体を拝見した。束帯姿の木像2体と十二単(じゅうにひとえ)の木像1体。山神祭と正月の年2回のみ公開という。集落の人々は手に手にヤツデの葉を持って、待っている。今日もカメラマンさんがいっぱい。志学館大学の森田清美先生もいらっしゃっていた。二人で振る舞いのぜんざいをいただく。

午後3時前、軽トラックで運んできた大草履を鳥居前に下ろす。この草履は公民館で2日前に集落民が編んだもの(草履を編む日は特に決まってはいない)。2時間程度で完成したという。やまんかん祭りの大草鞋は1対(2つ)あり、実測したところ今年のものは直径230センチあった。重さは30キログラムといい、今年は雨のせいでさらに重さを増している。
午後3時、二人の青年が大草履を”踏んで”運ぶ。参道の石段を下り(神社はくぼ地にある)、大草履が大山祇神社(通称やまんかん=山の神)に到着。この間5分とかからない。

役員による簡単な神事のあと、先に配ってあったヤツデの葉の器に、赤飯を配る。いただくと無病息災とのこと。ヤツデは、神社の周りに生えているものを利用し、葉の部分を器状にする。開かないように、つまようじを差してある。葉の部分長さ20センチ、柄の部分30センチ。たくさん準備されていて、山ん神祭りでは、赤飯をもらうのが楽しみの一つとなっている。セガキという。この赤飯はお供えをした残りを振舞うもの。役員が拝殿で小櫃を抱え、少しずつ参拝者に分けていく。

この後、以前は、神社のそばにあった金子家にも大草履を”履いて”上り、奉納した。現在は、赤飯を配ったあと、すぐに軽トラックで公民館へ運ぶ。

大草履は公民館下で軽トラックから下ろし、公民館への道を"履いて"上る。写真を撮るのはここがベスト。すべての行事は30分程度。草履は1年間公民館で供え、1年後解体する。解体した草鞋は、昔は肥料など使ったという。

●日時:2006年12月17日午後3時から。祭りは旧暦霜月(11月)第1申(さる)の日に行っていたが、昨年からそれに近い日曜日に替わっている。日程は集落の委員会で決める。
●場所:南さつま市大浦町大木場集落 大山祇神社→公民館

あられ交じりの時雨模様で、ビデオカメラがやっせんようになりました。祭りを日曜日に替えたことで、たくさんの見学者が訪れてくれるようになったとのことです。実は私も見たいみたいと思っていたのですが、なかなか休みとかさならず、ようやく拝見することができました。ちょっとあっけなく終わりましたが、素朴な集落行事という感じでした。それにしても歴史を感じる祭りでした。祭日を替えた理由は、祭の主宰者である金子家の当主がお亡くなりになり、公民館行事として続けていくことになったのだ、ということでした。大浦町郷土史で大木場の歴史をもう少し勉強したいと思いました。また、大隅半島には弥五郎どんなどの巨人伝説が伝わっていますが、薩摩ではなぜ大木場だけなのでしょうか。奧が深そうです。