田の神再生(加世田市唐仁原の田の神)

唐仁原上にある「ミゾコの田の神」が、2002年6月万世運動公園南側へ移転された。これまでにも、数度移されている。

唐仁原田の神写真

ミゾコの田の神はコンクリート製の土台(地面から高さ70センチ)の上の、ブロックで囲まれた2メートル四方の敷地に祭られていた。田の神は、下から高さ10センチの基石、高さ15センチの台石①、高さ21センチの台石②、高さ20センチの飾り台石がある。そして本体は高さ84センチ×幅45センチ×奥行き40センチの凝灰岩製の托鉢僧型石像。台石②に次の碑文がある。「文政九年丙 九月吉日 奉寄進唐仁原二才中」。文政九年は1826年。右手にメシゲ(しゃもじ)、左手に椀を持っている。頭の帽子状のものは、シキ(甑の底に敷く藁製簀の子)だという。

この田の神はもともと唐仁原上集落と神村集落の田の神。唐仁原下集落と唐仁原北集落は現在慰霊塔に立っている田の神をまつっていた。今は唐仁原3集落(あわせて唐仁原公民館)・神村の計4集落でミゾコの田の神をまつる。この地区ではくじであたった家が、初年度伊勢神、2年度目に田の神、3年目に水神、4年目に早馬を祭っていた(経費は集落持ち)。昭和40年ごろから集落での祭りができなくなり、最近は通りがかりの人が手を合わせる程度だったという

移転は5月29日から6月5日にかけて、延べ38人が奉仕し、手作りの土台作り・軽トラックでの移動・据え付け・跡地の整地を行った。経費は約10万円。新しく敷地となった場所は、万世運動公園駐車場内。唐仁塚川の側で南を向き、唐仁原・神村の田んぼを見守っている。変容をきたしながらもムラの景観の中で生き続けていく田の神が、こうして再生された。

(2002.6記 / 『鹿児島民具』15号コラム記事)