加世田の伊勢講行事1

 初めて御伊勢講を見たのは、内山田上のものでした。
 内山田上では今でも三つの公民館で一つの伊勢講の祠を祭っています。ここの伊勢講行事は、講の日まで一年間祭ってきた公民館から、次のエショ(御旅所)になる一つ隣の公民館まで、伊勢神の祠を移すというものです。「ホーイホーイ」という掛け声で、伊勢講の行列が集落内を練り歩く。集落の人々は道端で参拝し、賽銭を投げる。

→写真帳:加世田の伊勢講行事1995-2002

加世田の伊勢講

 なぜこのような行事が始まったのだろうか。消えていく伝統行事が多い中、どうして伊勢講は残っているのか。それが第一の疑問でした。
 それ以来、旧加世田市内で伝承されている伊勢講を見て回るのに十年を費やしました。それからようやく、数年前からは著名な笠沙や大浦の行事を見るようになりました。新聞紙面でも見かける笠沙町片浦や、県の文化財となっている大浦各地の疱瘡踊りなど。多彩なそれらの習俗を考えるためには、素朴な加世田の習俗を見てきたことは、大変役に立つものでした。

 伊勢講は、南さつまでは1月11日か2月11日に行われます。ほとんどの集落がこの日程なので、それを観察するためには一年に一箇所、時間がずれていても二か所が限度ということになります。調査してきた17箇所の分布図を見て思うことは、文化領域には市町村境は無いということ。市町合併で行政は一つになったが、文化は以前から一緒であった――そのように気付かされます。
 鹿児島での伊勢信仰はどのように展開していったのか。そして南さつまではどのように伝わっていったのか。これから一通り調査報告を重ね、考えをまとめていくことにしたいと思います。(拙著「南さつまの伊勢講行事1」鹿児島民具第22号投稿原稿から)