大浦町の御伊勢講行事から

今年の御伊勢講は、大浦町のものを3件拝見しました。私の南さつまの御伊勢講をめぐる旅は、これでひとまず一段落です。南さつま市内の、“直会以外の芸能や宿移りを伴う”御伊勢講習俗を、全部見たことなります。限界集落=後継者不足に泣かされながら、どの集落も懸命に伝統行事に取り組んでいらっしゃる。その姿に感激しながらの、十数年来の調査でした。
 今年拝見した福元・上之門・永田の御伊勢講のついて、感想を一言。(2009年2月11日調査)

【福元】8年前から後継者不足で疱瘡踊りが中止になっています。現在は、棒踊りの披露のみ。これも昔のように青年団が踊るだけでは足りず、壮年の方々も参加しての棒踊りです。小学生の子供たちが、先輩のお兄さんたちを手本に懸命に棒を振るっていたのがほほえましかったです。

【永田】市内すべての習俗を拝見した中で、最も昔の姿を残しているように感じられました。特に注目されるのは、
1.くじ引きが残っている
2.馬方踊り・疱瘡踊りが洗練されている
点です。くじ引きが残るのは、加世田小松原と永田だけです。馬方踊りでは馬の張りぼて(長さ約30センチの木製模型)が登場するのは永田だけです。伊勢音頭などの御伊勢講での歌も洗練された歌声でした。また、棒踊りを前に参加者全員で、数種類の御伊勢講の歌を歌っており、後継者の育成に取り組まれている姿も印象的でした。

【上之門】ここでも後継者不足で、疱瘡踊りは風前のともしびです。注目されるのは棒踊りで、
1.大きな旗竿(「ボウ」と呼ぶ)が地面を付きながら踊り子の周りをまわる
2.踊り子は棒ではなく、長刀と鎌を持つ
点が注目されます。御伊勢講で旗竿を付きながら棒踊りを踊るのは、南さつま市内では上之門のみです。また、鎌と長刀が両方登場するのも珍しいものです。

→写真集:大浦町の御伊勢講2009

 永田の御伊勢講は県外の大学の先生方が調査にいらっしゃっていましたが、他の二つは研究者は私だけでした。上之門では「カメラマンが来た。もうひと踊り踊って見るか」と私の為に、もう一度棒踊りを披露してくれました。私は予約なしで調査に出向くので、よくこうした場面に遭遇します。上之門の御伊勢講疱瘡踊りも鹿児島県指定無形民俗文化財「大浦町の疱瘡踊り」の一つです。本当は、それぞれの大切な伝統行事が、もっとクローズアップされても良いと思います。忘れられた学芸員が、忘れられかけている習俗を見ているだけのように感じられて仕方がありません。これまでは、調査に専念してきましたが、御伊勢講については一通り回り終わりました。何か考えをまとめて、地域文化再発見のために、伝承者の皆さんに恩返ししたいなあと思うようになりました。