南さつま市津貫の十五夜綱引き

藁でなった綱を引き、その綱で土俵を作って相撲を取る、素朴な八月十五夜行事です。

写真帖:200709津貫中間上十五夜綱引き

今年は仕事の都合で遠方にいけなかったので、南さつま市加世田の津貫に行ってみました。
中間上集落(なかまかみ)では、市販のロープは用いず、今でも藁で綱を練っています。今年は土曜日(9月22日)に練り、公民館脇にトグロ上にして置いていたそうです。

【十五夜当日ドキュメント】
○調査日:2007年9月25日
○調査地:鹿児島県南さつま市加世田津貫中間上集落
19:00公民館で集落常会
19:30公民館前にトグロう状に置かれた綱の前で神事
     公民館前の道路で綱引き(世代別男女対抗など)。中央で綱が切れてしまい終了。
20:00綱を公民館脇の刈り取られた田んぼまで引きずっていき、輪にし、その中に敷き藁を入れて土俵を作る。
     相撲大会(学年別)
     じゃんけん大会
21:00公民館で反省会(飲ん方)

【聞き書き】
○綱引きは、以前は青年団が主催して行う行事で、十五夜の2日前に芯になるカズラを山に取りにって綱をネッた(綯った)。
○芯に、キンチク竹を利用したこともある。細く割って、折ってかみ合わせる。それでも引く人数が多く切れることもあった。
○藁は、かつては普通作ばかりなので1年前のものを使った。今は早期作のところからもらってくる。
○練った綱はかつては公民館の土間にトグロ上にして置いておいた。現在は公民館が新築されて土間がなくなったので、公民館脇においておく。
○引く場所は現在と同じで、公民館前の道路。ただし昔は砂利道なので、今と雰囲気が違う。
○綱は今の3倍ぐらいの長さがあった。太さも一抱えはあった。
○かつては、綱が切れると勢いでそのまま川まで引きずっていき、切れ端を川に投げ込んだ。青年の衆がそれを引き上げ再び結びつけて引いた。
○今は中間上という一つの集落になっているが、以前は新沢・本坊の2集落であったので、その対抗戦のようなこともした。
○相撲は現在は公民館南東の田んぼでするが、昔は道路に綱を巻いて藁を入れて土俵を作っていた。


今回久しぶりに裸電球のもとテレビ局も新聞社も来ない、すばらしい「普通の」綱引きを拝見しました。
今年は100名程度の参加者があり、綱の規模は20メートル程度と小さいものの、大変賑やかな行事に思えました。この日のために返ってきた方も多いとのこと。男の子も女の子も誰もはずかしがることなく、どんどん相撲を取っていきます。過疎のムラの一大イベントです。近隣の西山・原向集落や干河地区でも元気な子供の声が聞えました。こうした集落単位の行事というのもすばらしいものです。

また、聞き書きの中で綱切り・つなぎ直しの話には驚きました。坊津の坊や泊でみられる綱切り・つなぎ直しが龍神の死と再生のモチーフにつながるのは指摘されていることですが、こんな「普通の」地域でもさりげなく伝承されているのです。もう一つ、綱を引きずって土俵を作る場所まで持っていくしぐさは、万世の綱引きずりの意味を再検討する視点になるかもしれません。万世でももしかしたら綱引きずりがメインではなく、綱引きに付随した引きずりが、今はクローズアップされているのかなあとも思いました。もしくは、全く逆の可能性もあります。「綱引きずりと綱引き」の関連、「綱切り・つなぎ直し」の意味については、改めて考え直す必要があるのではないかと、現場で考えました。

鹿児島には私の知らないこんな素朴な十五夜行事も、まだまざたくさんあることでしょう。来年はどこに行こうかしら。2008年は9月14日が旧暦十八月十五夜です。