赤生木の御伊勢講行事

文化14年(1817)に御師がもたらした掛け軸が伝わる伊勢講

●写真帖:南さつま市笠沙町赤生木の御伊勢講

南さつま市には、毎年2月11日に加世田・大浦・笠沙地区で、御伊勢講行事がある。笠沙地区内では、四か所。
 ①野間池:午前10時ごろから ②赤生木:午前11時ごろから
 ③小浦:午後0時半ごろから ④片浦:午後3時ごろから
※今日の南日本新聞には大浦笠沙だけのように載っていたが、加世田地区の津貫・万世・小湊でも2月11日に御伊勢講を行う集落が多い。

【赤生木の御伊勢講ドキュメント】
○私は午前10時すぎに、祭典のある「大山積神社」に到着した。掃き清められた境内には誰もおらず、注連縄も古いままで、お供えもない。
○10時30分ごろから準備が始まった。役員が、広域農道に軽トラックを止めて、三宝などの道具を運ぶ。農道から100メートルほど歩く。まず境内に焚き火を焚く。昔は古くなったお札をそこで焼いていたという。注連縄を新しいものに取り替える。野間神社の神主も到着し、山の幸・海の幸のお供えを準備する。
○11時過ぎから祭典は始まった。神官による祝詞のあと、赤生木校区振興会長、②農業代表、③漁業代表、④公民館代表、⑤嘱託代表、⑥消防団代表、⑦婦人会代表、⑧学校代表、⑨子供代表の順に玉串を奉納した。午後からの講演会に出席する原口泉先生も、地区の皆さんと一緒にお参り。
○祭典が終わると、神酒が参拝者に配られた。(一旦解散)
○午後1時30分からは、御伊勢講に伴う校区振興会の恒例行事「成人講座」が、並木公民館で開催された。振興会長さんのあいさつの後、鹿児島大学法文学部の原口先生の講演。演題は「御伊勢講と大山祇神社―地域活性化のために―」。
○予定より30分ぐらい押して、午後3時30分ごろから「オミキビラキ(お神酒開き)」。いわゆる直会。


 赤生木の御伊勢講は、大山積神社(通称「山の神」)で行われる。どうしてここなのか、校区の皆さんや神主さんのお話、それに郷土史によると、大山積神社はかつて赤生木校区内の各集落にあった小祠を合祀したものだという。それら小祠の一つとして伊勢神が祭られていたのであろう。それぞれの御神体は現在は野間神社で祀られており、今ここでは皇大神宮の大麻のみが御神体となっている。
 また、他の地区で見られる宿移りやご神幸がないか校区の方にうかがったところ、現在ではそうした行事はなく、月々のお供えや祭典もないという。もちろん花香の当番もない。普段は通りがかった村人が立ち寄ってお参りする程度だという。なぜないのかは、上記の合祀のせいだとあとから気付いた。
 ただし、『笠沙町郷土誌』によれば、かつては赤生木にもご神幸があったようだ。
「赤生木では、烏帽子を被った男性がオカタ(オイセサアの木祠)を持って、シベを切りながら「五大町のセンガメ女、一九や二〇歳でお伊勢参らんしょ、あらよいよい」と歌い、7人ほどの男がイラサオ(竹笹)を持って付き添いながら村じゅうを回った。かつては疱瘡踊りも踊られていた。」(下巻・878頁)
このことについて、校区の参拝者に尋ねたところ、「大山積神社でのお祭の後、烏帽子を付けた男の人が、シベを振って、ピンピン跳びながら集落の中を回っていた」という。ただし、今回の参列者(校区振興会の役員さんたち)は、世代が若く、自分たちが子供のころ見たことなので、はっきりしたことは分からないということであった。また、上記の聞き書きは清水・笠松集落の方のお話であるが、他の地区の方は、そうしたご神幸のあったことを記憶していないとのことであった。先に述べた合祀以前の、各集落ごとの行事として、捉えなおす必要があるのかもしれない。
 また、この御伊勢講には、文化14年(1817)に御師がもたらした掛け軸が伝わっている。昭和40年と平成11年に表装補修を施してあり、状態はよい。当時の笠沙文化の豊かさと、御師の活躍とが垣間見られる、貴重な資料といえよう。午後からの原口先生の講演で印象に残った話に「御師は言わば、お伊勢参りのツワーコンダクター」でもあるというお話があった。なるほど中央からの文化を広め、一方で地方からの人々を伊勢へと導いた「旅行代理店」だったと見るのも面白いと思った。
 赤生木校区の成人講座は、役所におんぶに抱っこでなく、地域だけで企画・運営されているという。たった30人ほどの集まりだが、毎年一流の文化人を呼び、一流の音楽家を招待している。そこには「人」のネットワークと地域おこしの「熱意」を感じた。それも「御伊勢講の日」に開催することが興味深い。ふるさとの伝承を大切にし、新しい文化を創造する。赤生木モデルが市内の各校区にも伝われば、地域文化の息吹は途絶えることなく、南さつま全体がいきいきとした街になることだろうと感じた。

 南さつまの御伊勢講を拝見して14年になる。市内には20箇所ほどに御伊勢講行事がある。いずれも1月11日か2月11日に祭日が集中しており、どうしても一年に1、2か所しか調査することができない。加世田市内に10年ほどかかり、数年前からやっと笠沙大浦を調べはじめた。足元から丁寧に体感しなければ、他人のレポートだけではどうしても見えてこない部分が多い。駆け足の広域踏査もできるが、時間をかけても、自分の足で地域文化を見つめていきたいと思う。
●調査地:南さつま市笠沙町赤生木 大山積神社・並木公民館
●調査日:2007年2月11日 午前11時から