寅さんの「琴島」

志々島地図
男はつらいよ第46作で撮影の舞台となった島は、塩飽諸島の志々島です。
いつもの土曜日と同じように、サントリーホワイトを片手に何気なく寅さんを見ていました。
「うん、どっかで見た風景だなあ」
連絡船、波止場のそばの小さなお墓、山の上までつづく段々畑。どのカットを見ても、やっぱりその島だと思いました。
私は映画の3年前、1990年にこの島を訪ねました。
目的は、船乗りさんの茶粥を調査するためです。
碁石茶の歴史と民俗 - 茶粥づくり茶粥の島・志々島の景観
貧乏学生の私は、朝5時高知発の鈍行列車に揺られて多度津駅に着きました。そして寅さんと同じ連絡船「粟島丸」で志々島に渡りました。波止場のそばには両墓制(遺骨を納めた墓とお参りする墓が別々になっている墓制)の参り墓が整然と並んでいます。
私の調査はいつも飛び込みです。まず最初に出会ったのは、港でゆっくり海を眺めているおじさんでした。三毛猫がそば横切る(この島も猫ばかり)。かつて船乗りだったそのおじさんから、ゆっくり茶粥のお話を聞きます。見知らぬ私にも志々島の皆さんは実に親切でした。商店では棚に並んだ碁石茶(茶粥用の固形茶)を見せていただき、自宅では目的の茶粥までご馳走になりました。その素朴な味ときたら言葉では言い表せません。それから島を一回り。志々島を隅からすみまで歩いて回りました。1時間もかかりません。天気は快晴。段々畑から見る瀬戸内の島々の景観は、今でも忘れられません。
島内八十八箇所のお地蔵さんや神社、お寺を参拝し、帰りの船に乗り込みました。けれども連絡船は詫間のほうに着いてしまいます。詫間の駅までは歩くと数十分です。またとぼとぼと一人で駅へ歩いていきました。
するとここでも親切な方と出会います。軽トラックに乗せてくださいました。海辺のムラの人々は、旅人に実に温かい。やはり外に開けた社会なのだなあと思いました。あの日のおじさん、おばさんたちは今でも元気でお過ごしでしょうか。
寅さんや満男もそうした人々に触れ合い、数日間を過ごしたことでしょう。